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三菱重工 遅すぎた改革、最後の挑戦  2014.10.20 <3>




日経ビジネスの特集記事(78)

三菱重工
遅すぎた改革、最後の挑戦
2014.10.20



今週の特集記事のテーマは

国内市場に依存し、改革が遅れ、停滞を続けた
三菱重工。
世界市場で取り残されまいと、硬直的な組織を
変え始めた。
欧米勢との実力差に愕然とし、遅まきながら
国際化を急ぐ。
だが、頼みのモノ作りは世界の壁に突き当たり、
トラブルが目立つ。
経営陣の危機感が現場に浸透しているとは
言い難い
 (『日経ビジネス』 2014.10.20 号 P.025)

ということです。


三菱重工遅すぎた改革、最後の挑戦

三菱重工
遅すぎた改革、最後の挑戦

(『日経ビジネス』 2014.10.20 号 表紙)




前回は、GEやシーメンスなどの海外の巨人たちとの
戦いにおいて、大きく水を開けられている実情を
お伝えしました。


最終回は、社長の宮永さんの危機感が従業員の心に
届いているか、その1点に注目してお伝えしていきます。


尚、PART4は変則的に、編集長インタビューで構成され
ています。詳細は、日経ビジネスのインタビューをご覧
ください。



PART3 宮永社長 初めての「経営」

宮永さんは、キーマンとなる人物を抜擢し、
日立製作所と事業統合した会社のトップに据えました。


私は、その人物は宮永さんの後継者の一人と目されて
いると感じました。そのキーマンとは?


 今年5月、三菱日立パワーシステムズ(MHPS)

 社長の西澤隆人は、緊張した面持ちで三菱重

 工業社長の宮永俊一と対峙していた。

 台湾新幹線なども手掛け、国際感覚あふれる

 西澤は、世界の巨人に負けない会社を目指す

 という改革の先兵的な役割を期待して、宮永が

 抜擢した人物だ。


 率いるのは2014年2月に設立した、三菱重工

 と日立製作所の火力発電事業の統合会社。

 三菱重工が65%を出資して主導権を握り、

 世界で拡大する発電設備の獲得を目指す

 グローバル戦略の要である。


 その日、西澤には腹案があった。三菱重工と

 日立という文化が大きく異なる2社を早急に

 融合するため、両社の生産現場の部長級を

 そっくり入れ替えるという荒業の決行だ。


 西澤は「半年は混乱が続くだろう」と宮永に

 心中を打ち明けた。宮永は一言、「正しいと

 思うならやってください」と告げ、背中を押した。
 

  (P.036)


ここで重要な事は、権限移譲したのであれば、
すべてを任せることです。一任するということは、
簡単のようで、そう簡単なことではありません。


つい口出ししたくなるのが人情です。
日本人のそうしたウェットな部分に目をつむり、
欧米の巨人たちに対峙するためには、ドライな
対応が不可欠だ、と宮永さんと西澤さんは確認
し合ったのだ、と思います。


西澤さんの決断は、手本にしたケースがありました。


 旧NKK(日本鋼管)と旧川崎製鉄の統合

 で生まれたJFE。

 当時社長(現相談役)だった数土文夫が

 お互いの製鉄所の部長クラスを総入れ替え

 する「交換人事」を断行。

 統合効果を早期に引き出し、業績回復と

 グローバル化を果たした。「数土さんのやり方

 はすごい」と感じ入った西澤は、教えを請いに

 JFEの門を叩いた。
 

  (P.037) 


すぐに行動に移した西澤さんもすごいと思います。
フットワークの軽い経営者は、そう多くはいない
でしょう。自分の代わりに誰か他の人物に任せる
ケースが多いと思います。


さらに、「交換人事」という「荒業」を早急に断行した
点もすごいと思います。


判断・決断・断行という「3断跳び」と、私は言って
いますが、判断・決断という二段階の思考過程を経て、
断行という行動が素早くできるかどうかが、極めて重要
です。


 交換人事は今年10月1日に実施した。

 三菱重工の拠点だった長崎工場と、日立側の

 主力工場だった呉工場の間で、設計部長と

 製造部長を入れ替えた。現場を統括する管理者

 も交換した。
 

  (P.037)


交換人事の対象となった人たちや、現場で働く人たち
は混乱すると同時に、反対は相当なものだった、
と推測されます。


西澤さんは、そんなことは百も承知で、文化が大きく
異なる2社を融合するためには、強烈な刺激を短時間
に与える必要がある、と判断したのでしょう。


ただ、西澤さんは辞令を出し、突き放すだけといった
ことはしませんでした。ケアをきちんとしました。


 西澤は異動の2週間前となる9月中旬、

 MHPS本社の入る三菱重工横浜ビルに、

 辞令が下りた部長8人、統括十数人を

 集め、こう語りかけた。

 「今度の人事で君たちは現場で絶対に困る

 だろう。ノイローゼになるかもしれない。

 だからちゃんと(私が)現場を見に行く。

 1人で悩まず執務室に来てほしい。心配事は

 いつでも相談してほしい」。アウェーとも言える

 現場に送り出す社員たちにそう訴えかけ、

 冷静さを取り戻させたのだ。
 

  (P.037) 


ここまで気を使ってくれたトップに、異動の決まった
人たちが、早急に、目に見える成果で応えようと
いう気持ちにさせた、と思います。


さらに、西澤さんは新たな策を講じました。
米国現地法人の社長や駐在員の入れ替えも行った
のです。


背景には、米国人の不満がありました。


 西澤は米国各地の拠点を訪れて「ここにいる

 日本人は役に立っているか?」と質問した。

 しかし、米国人の誰からも「イエス」の回答は

 なかった。そこで駐在員70人のうち、

 生産管理など必要な人員を20人だけ選ぶと、

 残り50人は「日本に帰れ」と命じた。

 駐在員は突然の辞令に面食らった。


 社内に不穏な空気が広がったが西澤は決断を

 翻さなかった。

 厳しい態度の背景には、現場を担う米国人の

 募る不満があった。日本人ばかりが実権を握り、

 米国人の現場採用者は冷遇されていたのだ。
 

  (P.037)


引き続き行われた改革は、現地法人の社長を
米国人に就けたことです。


しかも、現地法人の経営で実績のある日立方式
を採用したのです。


 マイナー出資者である日立方式の導入に

 踏み切る。日立は海外法人を、トップを含め

 て現地の人材に任せて、権限も移譲し、

 経営や営業の現地化を進めてきた先駆者で

 ある。


 西澤は駐在員の帰国に先立ち、今年4月、

 米国のトップを米国人のデビッド・ウォルッシュ

 に委ねる人事を決めていた。
 

  (P.038)


矢継ぎ早の施策に、社員の戸惑いは並大抵の
ことではなかったはずです。


ですが、そのような荒療治を断行しない限り、
硬直した三菱重工の組織を変革する最善策
はなかったのだ、と思います。


そうしなければ、生き残っていけない、と三菱重工
の経営層はひしひしと感じていたからでしょう。


宮永さんの話に戻します。
宮永さんが西澤さんというキーマンを抜擢したのは、
三菱重工を改革するためには自分の右腕となって、
共に行動してくれる人物が必要だったからです。


その覚悟ができている人物が、西澤さんだったの
でしょう。


社内のゴタゴタに時間を割いている場合ではない
のです。全社一丸となって、欧米の巨人と戦っていか
なければならない状況に、既になっているからです。


 GEやシーメンスという世界メジャーを相手に、

 初めて真剣勝負を挑まなければならなくなった

 経営者としての「恐怖心」がある。

 実際、宮永は「自分よりすごい経営者がいて、

 負けている。引き離されている。そんな恐怖心

 がある」と明かしている。
 

  (P.038)


宮永さんは「恐怖心」と戦いながら、今頃、武者震い
しているかもしれません。
「何としてでもやってやるぞ!」と。


下図をご覧ください。
三菱重工を取り巻く業界の相関図です。
三菱重工は日立製作所と火力発電事業で提携
しましたが、東芝は火力発電整備でGEと合弁
会社(ジョイント・ベンチャー)を設立しています。


さらに、三菱重工は仏アレバと原子炉を共同
開発しています。シーメンスと製鉄機械事業を
統合しています。


M&Aを進めながら巨人GEに挑む

M&Aを進めながら巨人GEに挑む

(『日経ビジネス』 2014.10.20 号 P.039)




宮永さんを中心に、三菱重工を早急に変革しようと
していますが、厚い壁に阻まれているというのが、
現実でしょう。


 三菱重工を変えるのは、決して簡単なこと

 ではない。最大のハードルは、経営者の

 危機感がなかなか現場に伝わらないことに

 ある。
 

  (PP.038-039)


その大きな理由の一つに「現場の神様」
存在があります。


 「三菱重工にはどの現場にも“神様”がいる」。

 そう話すのは、今春に三菱重工を退社した

 元社員だ。神様とは名人芸を持つベテラン

 社員、すなわち匠のこと。神様の発言に現場

 社員は逆らえない。現場によっては、経営トップ

 の指令より重要視されることも度々だという。

 高いレベルの技術を持つ匠はまだいい。

 問題なのは、実力がなくともある年次に達すると

 自動的にポストが用意され、匠に祭り上げられて

 いる人も少なくないことだ。

 若手社員らは、こうした大量の匠の存在が経営陣

 との距離感を広げ、自分たちの創意工夫を生かす

 舞台を奪っていると不満を募らせる。 
 

  (P.039)


長年、快適な「ぬるま湯」に浸かってきたため、
変化を嫌う体質が出来上がっています。


典型的な「茹でガエル」です。徐々に温度が
上がってきていることに気づかず、最後は
茹で上がってしまう事態になりかねません。


宮永さんたちの奮闘努力は実を結ぶのでしょうか?


 三菱重工が置かれている現実を社員に突き付けて

 覚醒させる。宮永は、自身が感じた恐怖心を、

 社員たちに浸透させられるのか。問われているのは、

 経営のリーダーシップそのものである。
 

  (P.039)




PART4 三菱重工 宮永俊一社長 インタビュー
常に負ける恐怖心 神に祈るような気持ち


このインタビューは、
日経ビジネスのインタビュー(142)
常に負ける恐怖心 神に祈るような気持ち

に掲載しましたので、ご覧ください。


宮永さんの「覚悟」が、ひしひしと伝わってきます。




PART5 “化石”にならないために

三菱重工の実情と今後の展望について見てきました。
このパートでは、日本の産業界で“化石”となった
三菱重工のどこが問題なのか、そして、日本では
三菱重工のようなケースは決して、例外ではないこと
を知るべきだ、というのが『日経ビジネス』取材班の
見解です。


マッキンゼー・アンド・カンパニーの元コンサルタント
だった一橋大学教授、名和高司さんはこう語っています。


 「改革で少し成果が出ると安心してしまい、

 形状記憶合金のように元に戻る企業が

 少なくない」。『失われた20年の勝ち組企業

 100社の成功法則』の著者で、マッキン

 ゼーの元コンサルタントとして数多くの

 メーカーの改革に携わった一橋大学教授、

 名和高司はこう警鐘を鳴らす。
 

  (P.044)


結局、改革を最後までやり抜く覚悟ができて
いるかどうかが、問われているということです。


 問われているのは改革をやり抜く覚悟だ。

 三菱重工がこれから改革を成功させる

 には条件がある。どのような企業を目指す

 のか。明確なビジョンを掲げることだ。

 そうすれば、どの事業が不要で、もしくは

 重要なのか、鮮明に見えてくるはずだ。
 

  (P.044)


ところが、現状の三菱重工を見ると、不採算部門
や将来性の乏しい事業からの撤退が不十分だ、
と『日経ビジネス』取材班は指摘しています。


 問題なのは、不採算だったり、将来性が

 期待できなかったりする事業からの撤退

 がほとんど進んでいないことだ。


 「50以上のビジネスユニットや700の製品

 はもっと絞り込みたい」と宮永は話すが、

 具体的な候補は、はっきり示されていない。
 

  (P.044)


三菱重工のようなケースは、日本の産業界では
例外ではありません。ただ、三菱重工はあまりに
変化してこなかったことに大きな問題があったの
です。


 三菱重工は、日本の産業界の中で、

 今や“化石”のような存在といっていい。

 その改革を「遅すぎる」と嗤(わら)う人も

 いるかもしれない。だが、変われないという

 意味では、「同じような悩みを抱えている
 
 日本企業はそこら中にある」(一橋大学

 教授の名和高司)。
 

  (P.045)


あなたの会社は大丈夫ですか?


「脱皮できない蛇は死ぬ」という言葉もあります。
変化できない組織、企業そして人間も、
「待っているのは衰退への道」(P.045)を
突き進むことになります。






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三菱重工 遅すぎた改革、最後の挑戦  2014.10.20 <2>




日経ビジネスの特集記事(78)

三菱重工
遅すぎた改革、最後の挑戦
2014.10.20



今週の特集記事のテーマは

国内市場に依存し、改革が遅れ、停滞を続けた
三菱重工。
世界市場で取り残されまいと、硬直的な組織を
変え始めた。
欧米勢との実力差に愕然とし、遅まきながら
国際化を急ぐ。
だが、頼みのモノ作りは世界の壁に突き当たり、
トラブルが目立つ。
経営陣の危機感が現場に浸透しているとは
言い難い
 (『日経ビジネス』 2014.10.20 号 P.025)

ということです。


三菱重工遅すぎた改革、最後の挑戦

三菱重工
遅すぎた改革、最後の挑戦

(『日経ビジネス』 2014.10.20 号 表紙)




初回は、業績好調に見える三菱重工が、財閥解体
という厳しい歴史を経て、全社統合したようでいて、
実は縦割り組織を脱却できずにいる、という実態を
お伝えしました。


今回は、海外の巨人たちとの戦いにおいて、
大きく水を開けられている実情をお伝えしていきます。


国内企業とすれば、年間売上高3兆円超は素晴らしく
見えますが、海外へ目を転じると、GEやシーメンスは
その数倍の大きさです。容易に埋めることができない
数字です。


社長の宮永さんは、危機感を募らせ、海外の巨人たち
との差を少しでも詰めようと、スピード感を意識して事業
展開しています。


果たして、宮永さんの危機感は末端の従業員の心に
届いているのでしょうか?



PART2 いつの間にか取り残された

日本では、長年、英語化された「ケイレツ」の下に
グループを形成し、共存共栄してきました。


ところが、「ケイレツ」が崩れてきている、と感じて
います。瀕死の状態だった日産自動車の立て直し
のためにルノーから派遣されたカルロス・ゴーン
さんは、「ケイレツ」を断ち切りました。


「しがらみのない外部の人間だからできた」、
と一言で片付ける人もいますが、それほど簡単な
ことではなかったはずです。


ゴーンさんは日産自動車には、片道切符で来た
のです。帰りの切符は持っていませんでした。


さて、「ケイレツ」に関連して、商慣行にどっぷり浸かっ
ていた三菱重工は異変に遭遇しました。



 今春、三菱自動車が発売した軽自動車

 「eKスペース」。以前は当たり前のように

 組み付けられていた、筆頭株主である

 三菱重工業製の基幹部品が見当たらない。

 エンジンに装着し、低燃費と高い走行

 性能を両立させるターボチャージャー

 (過給機)のことである。

 代わって採用されたのがIHIだ。


 これまで「三菱自は三菱重工を使うという

 感覚があった」(IHI車両過給機セクター

 グローバル企画部長の武井伸郎)。

 それだけに武井は「エポックメーキングな

 こと」と興奮を隠さない。

 三菱自の調達部門の担当者は「価格競争力

 で選んだ」と話す。軽は日本の新車販売の

 約4割を占める一大市場だけに、IHIは大きな

 ビジネスチャンスを三菱重工から奪取したこと

 になる。

 三菱自に三菱重工以外の選択肢を与えたのは、

 日産自動車との提携という外部とのつながり

 だった。
 

  (PP.032-033)


IHIとは、以前は石川島播磨重工業という社名
でした。IHIは日産自動車と関連があります。


ゴーンさんが日産自動車を立て直すために、
宇宙航空事業部をIHIへ売却しました。
自動車事業に特化するためでした。


三菱重工は、「井の中の蛙大海を知らず」であり、
「茹でガエル」でもあったのです。


価格競争が激化してきているにもかかわらず、
今までどおりのやり方に固執し、基幹部品を安く
作ることに意識が向かなかったがために、しっぺ
返しを喰らうという、「成功の復讐」にも遭ったの
です。


問題は、今回の「敗戦」を現場の人たちが重く
受け止めていないことです。
表面上だけかもしれませんが、意に介さない
という態度を示しています。


 三菱重工ターボSBU(戦略ビジネスユニット)

 長の梶野武はeKで採用されなかったことに

 ついて、「我々の売り上げは9割が海外。

 メーンターゲットは欧州の高級車だ」と影響の

 小ささを強調する。だが、「三菱重工離れ」は

 三菱自のターボチャージャー以外にも広がる

 可能性がある。
 

  (P.033) 


顧客の変化に気づくのが遅れたというのが、
実態でしょう。「三菱重工離れ」はこの一件だけ
ではありませんでした。


 長く付き合ってきた顧客が変化し、取り残さ

 れる三菱重工。この構図は、三菱グループ

 との関係にとどまらない。

 三菱重工の中で電力会社向けのビジネスを

 中心とする「エネルギー・環境」ドメインの

 連結売上高は2013年度で1兆2539億円。

 同社の連結売上高の37.4%を稼ぐ。

 この屋台骨が大きく揺らぎ始めた。
 

  (PP.033-034)


その時期とは、2011年3月11日に発生した
東日本大震災以降のことです。


 三菱重工などの重電メーカーは、電力会社に

 高めの見積もりを提示。電力会社は値引きを

 求めはするが、重電メーカーに利益が十分残る

 水準にとどめるケースが多かった。

 電力ビジネスは三菱重工にとって、利益の源泉

 であり続けたのだ。

 だからこそ、電力会社に提案を求められれば、

 無償で設計図を作成するなど、手厚い対応を

 欠かさなかった。


 だが、この蜜月関係は2011年の東日本大震災

 によって消滅する。全国の原子力発電所が停止

 したことで、盤石だった電力会社の経営基盤は

 弱体化した。
 

  (P.034) 


慣れ合いの関係が、長く続いていたのです。
その関係を断ち切る引き金となったのが、
東日本大震災だったのです。


変わったのは、電力会社だけではありませんでした。


 変わったのは、国や地方自治体という官需も

 同じだ。1990年代には年間35兆円あった

 公共事業などの政府建設費は、直近では

 半分以下の15兆円前後に減少。三菱重工

 が強かった橋梁や水門の売り上げは激減

 した。
 

  (P.034)



公共事業の話がでましたので、関連したことを
お伝えします。


大前研一さんは、日本の公共事業は「土建業だ」
と指摘したことがあります。箱物ばかり建てて、
中身が無いこと(ハコモノ行政)を指したのです。


典型的な例は、地方自治体の各地に点在する
美術館です。建物はたいそう立派なのに、
館内の美術品に目を見張るようなものが、
ほとんどないからです。



下図をご覧ください。
三菱重工の主な製品と顧客を「三菱」のマーク
のそれぞれの菱型の大きさで表しています。


電力会社や官需、三菱グループとともに生きてきたが・・・

電力会社や官需、三菱グループとともに生きてきたが・・・

(『日経ビジネス』 2014.10.20 号 PP.032-033)



官需が最も大きく、次に大きいのは電力など規制業種で
民需は最も少くなっています。


官需: 宇宙ロケット 戦車 軍用ヘリ 橋 水門

電力など規制業種 : タービン 電車 原子力発電所
              LNG船

民需: MRJ 風力発電 ターボチャージャー エアコン


余談になりますが、官需に宇宙ロケットとありますが、
日産自動車の宇宙航空事業部からIHIへ転籍した、
私の古くからの友人の話では、自衛隊向けのミサイル
の設計を日産時代からしてきたそうです。



今回のテーマである、海外の巨人たちとの格差を
知るために、下記の数字をご覧ください。


一目瞭然です。


米GE  売上高 15.3兆円  営業利益 2.53兆円
         (2013年12月期)

独シーメンス  売上高 10.7兆円 営業利益 7073億円
         (2013年9月期)      

日立製作所  売上高 9.6兆円 営業利益 5328億円
         (2014年3月期)

三菱重工業  売上高 3.3兆円 営業利益 2061億円
         (2014年3月期)




 三菱重工相談役の佃和夫は「僕たちも

 変わろうと必死だったけれど、それ以上に

 世の中は進んでいた」と認める。

 そしてこう続けた。「GEやシーメンス、世界

 の競争相手が動くスピードはもっと速い」。

 三菱重工が変わり切れずにもがいている

 間に、欧米大手の背中は遠のいていた。
 

  (P.034


上記の数字について、『日経ビジネス』編集部は
次のように解説しています。


アベノミクスの恩恵を受けながら、海外の大手
企業との差は開く一方です。


 4.6倍。三菱重工とGEの2013年度の

 売上高格差だ。営業利益率は三菱重工

 の6.2%に対してGEは16.5%。

 過去5年間の時価総額の推移を見ると、

 GEが約2倍になったのに対し、三菱重工

 はアベノミクスの追い風を受けたものの

 1.5倍にとどまった。今年6月に仏アルス

 トムのエネルギー部門買収を巡る戦いに

 挑んだ相手は、事業規模でも収益力でも、

 三菱重工のはるか先を走る。 
 

  (PP.034-035)


こうした現状に、宮永さん他の経営陣は
どんな対策を講じるのでしょうか?
そして、その勝算はあるのでしょうか?



次回は、「PART3 宮永社長 初めての『経営』」
他をお伝えします。






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三菱重工 遅すぎた改革、最後の挑戦  2014.10.20 <1>




日経ビジネスの特集記事(78)

三菱重工
遅すぎた改革、最後の挑戦
2014.10.20



今週の特集記事のテーマは

国内市場に依存し、改革が遅れ、停滞を続けた
三菱重工。
世界市場で取り残されまいと、硬直的な組織を
変え始めた。
欧米勢との実力差に愕然とし、遅まきながら
国際化を急ぐ。
だが、頼みのモノ作りは世界の壁に突き当たり、
トラブルが目立つ。
経営陣の危機感が現場に浸透しているとは
言い難い
 (『日経ビジネス』 2014.10.20 号 P.025)

ということです。


三菱重工遅すぎた改革、最後の挑戦

三菱重工
遅すぎた改革、最後の挑戦

(『日経ビジネス』 2014.10.20 号 表紙)




PROLOGUE 好業績が隠す停滞

まず、三菱重工の現況について、『日経ビジネス』は
レポートしていますので、見てみることにしましょう。


表面上は問題がないように見えますが・・・


 三菱重工は久方ぶりの好業績に湧いている。

 2014年3月期の営業利益は2061億円と

 17期ぶりに過去最高を更新。2013年4月に

 社長に就任した宮永俊一の改革手腕を評価

 するアナリストは多く、株価も高値で推移する。 
 

  (P.026)


ですが、『日経ビジネス』は別の観点から、
厳しい見方をしています。


 一見、成長局面に差し掛かったようにも見える。

 だが、三菱重工が抱える根源的な課題は何も

 解決してはいない。
 

  (P.026) 


どのような点で、「三菱重工が抱える根源的な課題
は何も解決して」いないと言えるのでしょうか?


 現代へとつながる縦割り組織の弊害は、戦後の

 財閥解体によって西日本重工業、中日本重工業、

 東日本重工業の3社に分割されたことに始まる。

 戦後の経済成長期、3社は同一製品、同一業態

 のまま、競争を繰り広げた。


 1964年に再統合するも、複数事業所で船舶や

 タービンといった同一製品を製造・販売する体制

 は変わらなかった。


 独自の文化、伝統と強すぎる事業所意識は、

 本社の管理を拒絶。ヒト・モノ・カネは事業所単位

 で統括し、本社役員よりも事業所長の持つ人事権

 の方が強大だった時代が続く。
 

  (P.026)


社風(コーポレート・カルチャー)の異なる複数の企業
が合併し、社風を統一することがいかに大変なことか、
は多くの事例で知るところです。


私も経験しています。


同様に、三菱重工のようなケースもあるのですね。
「財閥解体」という歴史がずっと尾を引いてきたという
事実は、三菱重工にとって、長年にわたって、
大きな「重し」となってきました。


では、なぜ改革は遅れたのでしょうか。
それには、「財閥解体」とは異なる、三菱グループや
国、電力会社といった国内の超優良顧客の存在により、
安定した取引を支えられてきた、という経緯があります。


敢えて海外に打って出る必要性が、乏しかったのです。


 三菱グループや国、電力会社といった、グローバル

 競争とはかけ離れた超優良顧客の存在があった。

 組織を効率化し、コストを削り、付加価値を高め、

 必死で営業するという努力が不十分だったとしても

 やってこれた。

 だが、時代は変わった。先進国のインフラ投資は

 一巡し、主戦場は新興国へと移った。新興メーカー

 の台頭も著しい。
 

  (P.027) 


時代が変わり、かつての超優良顧客が1社また1社と
離れていきました。自社の経営効率が問われることに
なり、今までのような慣行は通用しなくなったのです。


背景には、外国人投資家と三菱重工の競合企業の
存在がある、と私は考えています。


「モノ言う」外国人投資家は、社内留保を減らし、
配当金の増額を要求し、株価を上げるような施策を強く、
求めます。


経営陣は、そうした要求に応えなくてはならなくなったの
です。


また、長年の慣行となっていた三菱重工との取引を
見直す動きが出てきています。


品質、価格、メンテナンスなどのサービスを含め、
国内外の企業へ視野を広げ、過去の実績にしばられず、
取引を開始するケースが増えてきたのではないか、
と私は推測しています。


 かつての超優良顧客は徐々に三菱重工から

 離れ始めた。モノ作り力も世界の高い壁に

 ぶつかっている。高度成長とともに躍進した

 三菱重工は、その陰りとともに存在感を失った。

 以来、30年にわたって売上高が年3兆円前後

 とほぼ横ばいで、成長を果たせなかったことが

 何よりの証左だろう。
 

  (P.027)


ここで「モノ作り力」という言葉が出てきました。
今、「幻の名著」と言われる『ものづくり道』
(西堀榮三郎 ワック 2004年7月10日 初版発行)
という本を読んでいます。


西堀榮三郎さんといえば、第一次南極観測越冬
隊長として、特に有名ですが、京都大学助教授
を経て、東芝に入社し、モノ作りや品質管理で
大きな功績を残した人でもあります。


その西堀さんが、「創造性」について、次のように
書いています。とても参考になる話だと思います。


 創意工夫というか、「創造性」というものは

 切迫感が強ければ強いほど出てくるのである。
 

  (上掲書 P.29)


 しかし、切迫感だけでは「創造性」は生まれない。

 知識が必要なのである。

 創造性が生まれるためには、知識がニーズに

 結びつくことが必要で、そうしたとき「着想」という

 創造が起こるのである。では、ニーズとはいったい

 何かというと、社会や企業の要求とか問題の類

 (たぐい)である。
 

  (PP.30-31)


 知識と切迫感のほかに、もうひとつ大事なものが

 ある。それは「非常識に考える」ということであって、

 既成の概念に捉われているうちは新しい着想は

 浮かんでこない。


 物事に行き詰まると、まず事の本質を考える。


 新しいものを生み出す、あるいは新しいことをする

 ということは、「非常識」から出発することが非常に

 多く、反対者の多いイバラの道である。


 しかし、いかに険しい道であっても、新しいことを

 する勇気をもちたいと思う。
 

  (PP.32-34)

少し、引用文が長かったですが、要は、「創造性」
生み出すには、「切迫感」「知識」「非常識に考える」
の3つの要素が必要だ、ということです。


京セラの創業者の稲盛和夫さんが言った、
人生・仕事の成果=考え方×熱意×能力
に通ずるものですね。


この3要素は、私たちがモノ作りに携わることがなくとも、
日常生活において、何か創造的なことをしたい、
と思った時に思い出してみるとよいかもしれません。



話を戻します。
三菱重工は過去、改革を試みたことはあります。
しかし、長年染み付いた体質がそうやすやすと変わる
ことはありませんでした。


 ようやく先代社長(現会長)の大宮英明が、

 事業本部制へと舵を切った。それまでは、

 給与明細のフォームや、社員番号すら

 事業所ごとにバラバラだった。原価計算の

 仕組みも、資材管理のコードも、事業所に

 よって異なった。

 
 だが、今なおグループ報の創刊にすら激しい

 反発を見せる事業所の存在は、三菱重工の

 改革がまだ緒に就いたばかりであることを

 象徴する。
 

  (P.027)


日経ビジネスオンラインに、大宮英明会長の
インタビューが掲載されていますので、
その一部をご紹介します。


日立製作所と火力発電事業で事業統合しましたが、
日立製作所との関連で、さらにもう一歩踏み込んだ
発言をしています。


 三菱重工は事業計画で年間売上高5兆円

 という目標を掲げました。

 とりわけ重要なのは海外です。

 歴史を振り返ると三菱重工は国内で庇護

 されてきました。

 例えば、発電システムでは、顧客である

 電力会社と一緒に物事を解決して、

 少しくらい(問題が)あっても一緒に育て

 ていこうとしてきた。



 ライバルは集約されていて強い。

 電力システムでは米ゼネラル・エレクトリック(GE)

 と独シーメンスが競合ですが、

 両社とも本社がある地域で極めて高い競争力を

 持っている。GEは米国政府の支援や後押しを

 受けています。

 いいかげんなことでは当社も戦えません。

 ですから自前主義を捨てて、5兆円の売上高規模を、

 何としても達成しないといけない。

 そこで今年2月に火力発電システム事業を日立製作所と

 統合しました。

 GEなどの動きも考えて、我々も引き金を引きました。



 グローバルに打って出ていくためには、

 まずは売上高5兆円を達成したい。

 2015年3月期の売上高は4兆円を見込んでいます。



 課題なのは、国際的に戦えるような体制になっている

 部分とそうでない部分があることです。



 自前主義からの脱却が一番難しい。

 三菱重工には700の製品があり、たくさんの技術者が

 います。

 「自分でやればなんでもできる。(外の力を借りなくても)

 自分でできるじゃない」と思っている人はたくさんいる。

 (再編で)本体から切り出されることへの抵抗感も非常に

 大きな障害になっていました。



 日立との全体統合はたぶんない。

 シナジーがどう出るのかですが、規模の大きなものを

 ばちゃっとつければいいということではありません。

 今回、日立と火力発電システムを統合したのは補完効果が

 大きいからです。



 (重電分野では)だんだんプレーヤーが少なくなっています。

 例えば、日立とは交通システムを一緒に売り込む。

 日立には鉄道車両もありますが、その辺の組み合わせが将来

 どうなるのか。将来そういうこと(2社の鉄道事業の統合)が

 あるといいな。チャンスはあるなと思っています。
 
 日立との全体統合はたぶんない
 三菱重工、大宮会長が語る改革の課題

 日経ビジネスオンラインから 
 聴き手は、山崎 良兵 記者  2014年10月20日(月)




PART1 モノ作りが通用しない

三菱重工は日本のモノ作りを支えてきた企業です。
現在、生産計画の遅延や計画の甘さによる損失が
頻発しています。
三菱重工の現場で何が起きているのでしょうか?


 三菱重工発祥の地、長崎造船所(長船=ながせん)。

 坂道が多く、長崎市内の至る所から湾内の造船所と

 建造中の客船が見える。2014年3月期に600億円もの

 特別損失を計上せざるを得なかったこの船は、

 約130年の歴史を持つ長船の苦悩を映し出していた。


 客船の発注者であるドイツのクルーズ会社、アイーダ・

 クルーズが三菱重工に求めたのは、顧客の設計図

 通りの「精巧な船」ではなく、これまでにないような

 「海のホテル」を造ることだった。それは、顧客と

 議論をしてゼロから設計する「プロトタイプ(一番船)」

 と呼ばれる船で、三菱重工としては初めての試みに

 なる。


 長崎の船造りの名人たちは、相次ぐ設計変更に翻弄

 された。内装工事に着手できぬまま、費用ばかりが

 かさんだ。
 

  (PP.028-029)


下図をご覧ください。
LNG(液化天然ガス)船(右端)とそのすぐ左にホテルの
ような造りの建造物は「客船」です。


キャプションを読むまで、それが「客船」とは気づきません
でした。あなははすぐに分かりましたか?


LPG船と客船(右から2つ目)を建造する長崎造船所

LPG船と客船(右から2つ目)を建造する長崎造船所

(『日経ビジネス』 2014.10.20 号 P.029)



三菱重工は商船造りならお手のものでしたが、客船となると
勝手が違いました。さすがの船造りの名人たちも戸惑いを
隠せませんでした。


それでも、三菱重工はやらなくてはならなかったのです。
躊躇(ためら)っている場合ではありませんでした。


 ゼロから客船を造る――。それは社長の宮永俊一

 らが掲げる、「三菱重工こそがやるべき、難易度と

 付加価値の高い事業にリソースを集中する」方針に

 沿うものだ。世界で戦える企業に脱皮するうえで、

 その戦略自体は間違っていない。ただ、力が及ば

 なかった。


 昨年の暮れ、長船の幹部は東京・品川の本社に

 頭を下げていた。

 支援要請を受けて、宮永はすぐ、工程管理のエース

 らを長崎に派遣することを決める。

 「客船は長崎造船所だけの問題ではなく、三菱重工

 の問題だ」。宮永は頻繁に長崎を訪れ、そう繰り返す。
 

  (P.029) 


宮永さん他の経営陣が決定した、「客船」の建造は、
長船だけではできないことを知っていたのではないか、
と私は推測しています。


長年染み付いた縦割り組織を解体し、横断組織に改革
するためには、言葉を尽くすだけでは不可能であり、
縦割り組織ではもはや機能しないことを現場に気づかせる
ために、敢えて、不可能な課題を与えたのではないか、
と思っています。


そうでなければ、「支援要請を受けて、宮永はすぐ、
工程管理のエースらを長崎に派遣することを決める」
ことはできなかった、と思うからです。


このような事態に直面することを、宮永さん他の経営陣は
予測していた、と考えるのが自然です。


 三菱重工が「世界で戦える企業」に変わろうと

 もがき始めた途端、今までのモノ作りが通用

 しない現実を突き付けられたのも事実だ。

 それは長崎の客船のように、同社を象徴する

 大型の製品に限らない。
 

  (P.029)


その1例は、チラシ印刷機の価格差に愕然とした、
という話です。


 今年1月に三菱重工印刷紙工機械(広島県

 三原市)とリョービの商業印刷機事業が統合

 して発足した、リョービMHIグラフィックテクノ

 ロジー(同府中市)。


 「菊半」と呼ぶサイズの印刷機を比べると、

 三菱重工の値段はリョービより2割も高かった

 のだ。


 三菱重工には基幹部品を安く作る力が欠け

 ていた。
 

  (P.030) 



次に、下図をご覧ください。ジェット機の画像です。


「三菱リージョナルジェット(MRJ)」

「三菱リージョナルジェット(MRJ)」

(『日経ビジネス』 2014.10.20 号 PP.030-031)



日本航空(JAL)が導入を決めた、国産のジェット機です。
リージョナル(地域)という言葉が表しているように、
短距離飛行機です。国内と近隣国向けのジェット機です。


10月18日に名古屋市近郊でロールアウト(初披露)式典
を開く。


このMRJの納期がたびたび順延されてきました。
国内で建造されていたのにもかかわらず、どうしたことで
しょう?


 MRJの1次仕入先(ティア1)は31社。

 エンジンを担当する米プラット&ホイットニーを

 はじめ、ほとんどが欧米企業だ。旅客機造りの

 経験は三菱航空機よりもずっと長い。三菱航空機

 は開発を主導する立場であるはずなのに、国だけ

 を見ていればよかった自衛隊機造りの経験者が

 多く、納期やコストをうまく交渉できない。


 「MRJが失敗すれば、三菱重工も潰れかねない」。

 経済産業省のある官僚はこう指摘する。
 

  (P.031) 


三菱重工には乗り越えなければならない高い壁が
存在します。


初回から、かなりのボリュームになりました。
まだまだ続きます。




次回は、「PART2 いつの間にか取り残された」
をお伝えします。






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管理人の藤巻隆です。

以前、ジュゲムブログで、
同タイトルの
「日経ビジネスの特集記事」
を書いていました。

しかし、使い勝手があまり
よくなかったので、
FC2ブログで新たにスタート
することにしました。

現在(2013.10.16)、ブログの
引越を行っているところです。

FC2ブログでは、2013.10.14号
が最初のブログということに
なります。


2013年10月16日記す。

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